シンプルな「おもてなし」に関する一考察

わたしは、ジントニックが大好き。
シンプルで、逃げない味がするから。
氷とジンとトニックウォーターとライム。
それだけをカラーンとすればいい。



スタッフとして関わったイベント、6月18日(土)チャリティ・カフェイベント「PARTYstream for JAPAN」
(@株式会社内田洋行ユビキタス協創広場CANVAS
が終了して早くも1ヶ月がたとうとしている。


「今回のイベントは「ジントニック」のようなものだったと僕は思う。」
  ーイベントの先輩*平野智紀さんのイベント振り返りブログ
  「ジントニックをおいしくつくること:PARTYstream for JAPANリフレクション」より

このジントニックぶろぐにはしびれた。
平野氏ブログにしびれ、イベントを一緒に企画する仲間たち(PartyStremers)と語らって私が考えたこと。



シンプルな「おもてなし」について



茶の湯の世界には、
「利休七則」という教えがある。

その昔、千利休のお弟子さんは師匠の利休に尋ねました。
「お師匠さま、茶の湯の真髄を教えてください」

利久の答えを聞いた弟子はこういいます。
「そんなことなら、もうできています」
弟子の言葉に利休は答えます。
「これができているのなら、わたしはあなたの弟子になりましょう」

このときの利久の教えが「利休七則」とよばれ、いまも大切にされている。


「利休七則」
茶は服の良きように点て
炭は湯の沸く様に置き
夏は涼しく冬は暖かに
花は野にあるように
刻限は早めに
降らずとも雨の用意
相客に心せよ



なんとシンプル!ゆえにむずかしい。
「炭は湯のわく様に置き」
炭の組み方一つで、湯は沸かないこともある。
湯がわかなければ、茶は点てられない。あぼーん茶会!

私は趣味で茶道をかじっただけの人間だけど、
いくつかイベントの場づくりとかやってきた中で、
「おもてなし」ってなんなんだろうってことを、茶道から考えさせられる。



今回のPartyStreamイベントでは、
この場を構成している本質は何か、をシンプルに考えることの大切さについて考えさせられた。
凝って凝って凝りまくることではなくて、
シンプルに、いらないものをそぎ落とした中で、
本質的に、その場を作っている人たちのことを考えつづけることを
忘れないことが大切な気がした。

その場を作っている人たち、つまり、
コアスタッフも、当日スタッフも、ゲストも、お客さんも「もてなしあって」いた気がする。



おもてなし、についてはまだまだ考えてみたいことがたくさん。
まだうまく考えがまとまってないけど、
今日はここまで。



*牧村真帆さんによる、PartyStreamイベントの公式なレポートはこちら
*平野智紀さんによる、ジントニックぶろぐはこちら

なぜ、私は【箱屋さん】が好きなのか  〜ソトミとナカミに関する一考察

箱屋さんに行ってきました。
二子玉川にあるBOX&NEEDLEというお店です。
お店にはとても素敵な箱たちがたくさん。
「小物やさん」とか「お菓子やさん」ではなく、「箱屋さん」。
あたらしい!!おもしろい!!:)
ずっと行く機会を見計らっていて念願かなっての訪問でした。



箱—木•紙•竹などで作った、物を入れるための器。
お店でたくさんの「箱」を見るうちに、【ソトミ】と【ナカミ】について考えたので、ここに書き留めておきます。



ここの箱は、本当に可愛いので、飾る目的でも断然オッケイだけど、
「箱」なので、なにかモノを入れるための入れ物、
という役割を担っているものたちがたくさんいました。
ジュエリー用、帽子用、ペン立て用、ティッシュ用、書類用分類用…



私はお店のブログで見て前々から狙っていたジュエリーボックスを1つ購入しました。



写真その1:ジュエリーボック


もう一つ、購入したのは、こちら。

写真その2:マカロン

シンプルな長方形の箱。
『マカロン』と名前が付いていました。
たしかに、マカロンにみえる、よね。
この『マカロン』ちゃん、〇〇用という役割名はありません。
ほんとうにシンプルでしっかりとしたきれいな箱。
ほかにも、長方形だけではなくて、八角形とか、いろんな形の、無目的な「箱」がたくさん。



シンプルな箱をみると、『さて、何入れようかな』という想像力が刺激されます。
これはとても面白い経験でした。
ソトミからナカミを考える、という視点。
このソトミだったら、ナカミはこんなものを入れたいな〜、
とか考えながら、お店の中をうろうろうろうろ。
「箱」というソトミからナカミを考える、といういつもとは違った視点をもらいました。
同じ形の箱たちでも、きっとお客さんによって、入れるナカミは千差万別なんだろうなあ、と思うとわくわく。

私も、この素敵なソトミにふさわしい、素敵なナカミをたくさん詰み込めるようにしたいと思います。

またいこっと。

*お店のリンク*
box and needle
http://boxandneedle.com/index.html 


Another episode**
話は変わりますが、
箱といえば、
学部で幼児教育を学んでいたとき、
こんなモノをつくりました。


一見すると、ただの箱。
でも、開くと『お店』になっています。

保育授業の課題で、みんな箱の中にそれぞれのお店を作ってきて、
箱を並べて街を作りました。
わたしが作ったのは『ぼうしやさん』。
箱というソトミは同じでも、ナカミのお店世界は一人ひとり違う。
とっても楽しい遊びでした。

なぜ、わたしが卒園式で祝辞を述べたのか

先日、ひょんなことから、
私が卒園した幼稚園の卒園式で卒園生として祝辞をのべさせていただきました。


5歳児と保護者の両者に同時に話すということで、
何を話すかいろいろ悩みましたが、
結局、大学院で研究テーマにしていた「協調学習」について
『5歳児でもわかる協調学習!』『保護者に伝えたい協調学習!』
というコンセプトでいきました。

学術的な「協調学習」ご専門の方に読まれると訝しがられるかもしれませんが、
伝えたいことを、素直に、お祝いの言葉としてお伝えしました。
せっかくなので、ここに記録しておきます。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
祝辞

卒園生のみなさん、ご卒園おめでとうございます。
保護者の皆さまにおかれましても、心よりお祝い申し上げます。

本日は、二十年前に幼稚園を卒園した卒園生として、
卒園生のみなさんにひとつだけ、覚えておいてほしいことを伝えたいと思います。
みなさんは、幼稚園でお友達と一緒にたくさん遊んだことと思います。
4月からみなさんが通う小学校では、遊び以外にたくさんお勉強をします。
小学校でのお勉強は、一人きりでするものではありません。
お友達と、先生と、そしてお父さん、お母さんと、
一緒に、わからないことをわかるようにしていくことがお勉強です。
一人で困った時に、わからないことをわからないね、と一緒に考えてくれたり、
こうすればわかるよ、と教えてくれる、仲間がいるということを忘れないでください。
お友達や先生、お父さんお母さんと一緒に遊んだり、
お勉強したりすることのなかに、たくさん楽しいことがあります。
小学校でも、ドキドキ、ワクワクするようなお勉強と遊びを、
たくさんのお友達と一緒にしてください。応援しています。


保護者のみなさま
私は二日後に、大学院の修了式を控えております。
大学院では、大学教育に関する研究に取り組んでおりました。
私は、大学という学びの場が幼稚園という場と似ていると思うことがあります。
幼稚園では、子どもの主体性を引き出す環境を整えます。
大学も、学生たちが学ぶ環境を提供し、そこでいかに学ぶかということは、学生本人に任されています。
私は、大学院で、たくさんの仲間に出会い、学び合う経験ができたことが、
これからの私を支えてくれるだろうと思っています。
研究で辛い時、支えてくれたのは、大学の仲間たちと、そして家族でした。
自分の学びたいことに専念し、充実した学生生活を送ることができたのは、
家族の支えがあったからこそだと思っております。
どうぞ、ご家族のみなさまもお子様と共に、学び合う関係を築いていただけたら、
きっとお子様も心強くお思いになると思います。

最後になりましたが、
幼稚園の益々のご発展と皆様のご健勝をお祈りいたしまして、私のお祝いの挨拶とさせて頂きます。

平成二十三年三月 二十二日
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

さて、
昨日24日は、私自身の、大学院の修了式でした。
バーチャルという面白い形で、思い出に残る式になりました。

卒園式の祝辞で述べた、自分の言葉を思い起こしながら、
先生と、仲間たちと、家族と、たくさん写真をとりました。
感謝の気持ちを伝えようとしましたが、
とても感謝の二文字にはしまいきれない想いでいっぱいで。


ありがとうの言葉だけではないものをこれからお返ししていきたいと思います。
学位を頂いたものとして、社会に出てから、この2年間に得たことを発揮しまくるしか無い!
という所存でございます。


幼稚園で祝辞の機会をいただいたことは偶然のめぐり合わせではありますが、
これを機会に自分自身の修士課程修了をしっかりリフレクションしろ、
という「神様リフレクション」のお声がかかったのだと思います。
偶然の巡り合わせによって、深いリフレクションに導かれることって、ありますよね。

平成16年生まれの子どもたちも、4月から新しい一歩を踏み出そうとしているのだから。まけてられないでしょ!
彼らと一緒の、社会人『一年生』、がんばります。

なぜわたしはhakonyanなのか。—名づけのススメ

こんにちは。
お久しぶりのhakonyanです。
今日は、「なぜ、わたしはhakonyanなのか」という話題です。
まったり読んでください。

☆**

人間にふさわしく生きるというのは、
世界に名前をつける、命名することである(name the world)
——パウロフレイレ

☆**

私は、この3次元世界において、優美yumi命名されました。
優しく、美しい心を持てるように、という願いが込められているそうです。
名前負けしそうだけど、なんとか生きております。



わたくしに命名するとき、母が強く推していた候補があったそうです。
それが、「箱根hakone」。つまり、箱根ちゃん。
そう、Evangelionの舞台である箱根です。(それはあんまり関係ない)
母は箱根が大好きで、旅行といえば箱根に連れて行かれました。
今では私もすっかり箱根好きです。
だから、web上でIDを作るとき、大好きな箱根からhakoneの名前をお借りしました。
なぜ「hakone」ではなくhakonyan(はこにゃん)かというと、
それはただhakonyanという響きが気に入ったからです。

hakonyanの初出はtwitterIDでした。
twitter上での第2の自分を創り上げるとき、
「ここ(twitter)では自分に名前を付け直して、
第二の自分を作った方がこの世界を楽しめるのではないか」と思いました。
本名でもよかったけれど、social media上の自分に命名することで、
そこで見える世界がより新鮮に見えるかな、と考えのです。
名前を新しくつけることで、hakonyanとしての自分の腹をくくる、といいますか、
うまく言えないけれど、そんなイメージです。

今では、hakonyanは自分にとって居心地の良い名前になりました。
本名で呼ばれるより、「はこにゃん〜」と呼ばれる方がしっくりくることもあります。


自分に新しい名前をつける。
そうすることで、
新しい世界との向き合い方を考えるきっかけになるかもしれないな、と思っています。

よかったらみなさんのID やnameの理由も教えてください。
そのnameの背景に流れるストーリーをききたいのです。



でも、まあ、やっぱり、yumiを推してくれたおばあちゃんに感謝だな。
今後とも、yumi、hakonyanともどもよろしくお願い致します。



と、こんな記事を書いておいてアレですが、
twitterIDは@hakonyanから本名に変更します。
大学院を卒業するに当たって、
教育機関に属さない、個人の学び手としての私の生きた証をしっかり残していきたいと思ったからです。

というわけで、@hakonyanの私は、今日まで。



なにはともあれ、
学生最後の合宿先が「箱根」になってすごく嬉しいhakonyanでした。
合宿まであと1週間をきりました、楽しみです。

では
hakonyan

こんど、ぶろぐにかこうとおもってること

いま、シュー論が楽しくてしょうがなくて、
ぶろぐかけないんですが、
ぶろぐに書きたいなーと思ってること、
まとめておこうと思います。

1、【続】なぜ、本郷三丁目にはドトールが2つあるのか
2、なぜ、私は「はこにゃん」なのか
3、 How to become innovative?- what I learned at i.school
4、コスのすすめ
5、なぜ、オトナも学ぶのか
6、茶道と学び




などなどーー
たぶん、1月中旬以降に、のろのろまとめていくです。
お楽しみに♡>自分

なぜ、インプロはたのしいのか

書き溜めてたぶろぐねた公開します。

前回のドトールネタは色々ご意見賜りましてありがとうございました。
この「なぜ」の答えは、藪の中、ということで。
ドトールいつも混んでて聞けません。)

今回も答えはないけど、経験したこと、考えたことを書きました。ちと長い。



最近、インプロ(即興演劇)という言葉をよくききます。
先日、久しぶりにインプロ体験もしたことですし、とっても不思議な魅力を感じているので、
書き留めておきたいと思います。

☆★☆はじめてのインプロ:プレイバックシアター☆★☆

私が初めてインプロらしいものを経験したのは、大学3年生の夏でした。
大学の集中講義で3日間、「プレイバックシアター」ワークショップという即興演劇を体験しました。
不勉強ですが、非常にざっくり言ってしまうと、
プレイバックシアター」はインプロ(即興演劇)の一種、と捉えられると思います。
この最終日のワークショップで、私は「テラー」という役をして、泣いちゃうくらい感動しました。
あの時の気持ちは、今でも覚えていて、なんというか、『癒される感動』を経験しました。じんわぁぁーって感じです。わかるかな?
多分、伝わらないので、興味を持ったら体験してねってことで、
きょうはプレイバックシアターの経験を振り返りつつ、インプロについて考えてみたいと思います。

インプロのあの不思議な感覚ってなんなんやろう。

☆★☆

プレイバックシアターは、その名の通り、過去の経験の物語を「プレイバック」して演じ、みんなで共有する即興演劇です。
私が経験したプレイバックシアターには、下記のような役割がありました。

「テラー」:物語を語る人。自分の過去の経験や、夢で見たこと、みんなに話したいことを物語る人。
「コンダクター」:テラーの語りを引き出す人。テラーの話を引き出しつつ、アクターに演じるタイミングを出す。
「アクター」:演じる人。語られた過去の経験に出てくる、登場人物や登場物を演じる人。物語によって、数名が演じる。
テラー、アクターが参加者からの立候補制で、コンダクターはファシリテーターの先生が務められました。
テラー、コンダクター、アクターだけで、演劇は出来るのですが、もう一つ大事な役割が、「観客」です。
「観客」:パフォーマンスを見る人、物語を受け止める重要な役割。

テラー、コンダクター、アクター、観客によって、テラーの語る過去の物語がひとつのパフォーマンスとして即興的に演じられ、
ひとつの物語がその場にいる全員に共有されます。
私は「テラー」と「観客」を経験しましたが、プレイバックシアターがもたらす効果は、
個人的な物語がみんなに受け止められることによる「癒し」かなと思いました。


☆★☆インプロワークショップのデザインのちょっとしたコツ☆★☆
その1、コミュニティ形成の意識

「癒し」をもたらすプレイバックシアターというインプロを成功させるためには、色々な仕掛けが隠されていると思いました。
特に重要なのは、参加者同士のつながり、コミュニティ形成が意識されている点だと思いました。

「演じるなんて恥ずかしい」、「自分のパーソナルな物語を語るなんて恥ずかしいし、上手くしゃべれない。」
最初はそういう気持ちがあって当たり前です。
そんな気持を解きほぐし、このコミュニティなら、私の物語を共有してもいいかな、テラーのために演じてもいいかな、という気持ちにさせていく力をもったミニゲームを積み重ねます。
ミニゲーム経験の共有を通して、参加者全員がテラーの語りを「受け止める」準備のあるコミュニティに成熟している必要があるという印象をもちました。

具体的には、下記のようなミニゲームがあったと記憶しています。
・瞬時に人で彫刻をつくる
・ペアになり、そのひとの大切なモノの気持ちになって話しかける
・グループで、お互いの為にプレゼント(なんでも)をしあい、理由を語る
もっと色々あったと思うんですが、
特徴としては、手を握り合ったり、背中を合わせたり、型を触れ合わせたり、と身体を使うものが多かったと思います。

テラーの個人的な物語を引き出し、演じるのは、非常に繊細で、一歩間違えると、危険だな、という印象をもちました。
もし、アクターがウケを狙いすぎたら、
もし、観客が物語を揶揄したら、
テラーを傷つけることになってしまう。アクターが楽しく演じることができなくなってしまう。
すごく微妙だけど、そんな危険がある気がしました。
参加者全員が「やりすぎ」ではない、その微妙なラインを感じ合い、
物語を受けとめる心の準備ができたとき、初めてパフォーマンスをすることができるのではないかな、と感じました。

ミニゲームを通して参加者は、
テラーとして、このコミュニティで物語を共有したい、
アクターとして、テラーのために演じたい、
観客として、テラーの大事な物語を、心を込めて、受け止めたい、
という気持ちになっていき、「共有」する準備のあるコミュニティとして成熟していったようでした。

私が体験したプレイバックシアターワークショップは大学講義内で行われたものだったので、理論的なことの講義をしていただきました。
下記のコミュニティ集団の要素はなるほど、と思いました。
===================
「コミュニティ」集団の要素として、
・安心感ー一体感:みんなで同じ体験(遊び)をする。同じ気持をもつ。
・みんなと「違う」ことを、表明できるようにする
・身体がほぐれると、気持ちもほぐれる
これらで、身体も心も開かれる、ほぐれる。そして、すばらしい表現が生まれる。
===================



☆★☆インプロワークショップのデザインのちょっとしたコツ☆★☆
その2、ファシリテータのふるまい

このプレイバックシアターも、先日経験したインプロも、
ファシリテータのワークショップの活動の進め方自体もインプロ的(即興)であった点が印象的でした。
参加者の様子をみて、その状況の中で次の活動を決めていく。
インプロをすることが目的ではなく、手段としてどう使えばいいか、
ファシリテータはそんなことを考えているのかな、と思いました。
だから、参加者とか、色々な要件によって活動自体が即興的に変えていく。流していく。
それはとても自然で、もともとそういう計画だったんではないかと思うくらいでした。
そう考えると、
最初っからこのワークは絶対する!とか、これの次はこれ、と活動を決めてかかりすぎることが、
不自然さを創りだして、参加者の違和感につながっていくのかなと思いました。
ファシリテータもその状況の中に「入って」いく。
インプロワークショップでは、そんな関係がファシリテータと参加者に築かれていた気がします。


☆★☆即興に関する一考察☆★☆

『即興』
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia
即興(そっきょう、英: Improvisation)は、型にとらわれず自由に思うままに作り上げる、作り上げていく動きや演奏、またその手法のこと。インプロビゼーション、アドリブともいう。ただしインプロビゼーションとアドリブを厳密に区別する者もいる。一般には、音楽・ダンス・演劇の世界において使用される語。


私はこれまでのインプロ体験からインプロに対して、
正解の型がなく、自由に、自然にやるもの、というイメージがあるのですが、
実は、一方で、そこに「ルール」や「型」みたいなものがあるからこそ、安心して自由にできるのではないかな、と思います。

例えば、ミニゲームは、「ゲーム」という形式をとっている。ゲームだからルールが有ります。
手しか使っちゃダメ、言葉は使っちゃダメ、、、、とか

ちょっとした「型」があることで、
その型の中にいる、という安心感が人の心をほぐすのかな、と思います。

インプロ、不思議でおもしろいものです。
どうか、そのまま、不思議でいてほしいと思います。



=====
余談かつ内輪ネタだすけど、
最近、大学院の研究室のメンバーは、先生含め、インプロ大好きで、定番のネタ化してきているほどです。
最近は、インプロが日常に埋め込まれてきていて、いろんな「型」が生まれてきています。
例えば、
・ハイジ・クララ
・いいよなおじさん
・学会口頭発表
・名刺交換
・ポスターバズーカ
・くまー
・DJ
etc....

ハタから見たら、ただふざけてるだけなんですけど、
「これはふざけてるんじゃない、インプロだ。」と言われると、
ああそうですか、という気持ちになってしまうという。
(ほんとにインプロなのか?w)
そしていつの間にか自分も巻き込まれているという。
そんな陽気な研究室が好きです。

☆more info
東京学芸大学 高尾隆先生
・大学の授業でプレイバックシアターをファシリテートしてくださった講師の先生:羽地朝知先生
プレイバックシアターの詳細の乗っているページ
 NPO法人らしんばん HP
 http://playbacktheatre.jp/playbacktheatre.html

なぜ、本郷三丁目にはドトールが2つあるのか

突然ですが、
丸ノ内線本郷三丁目駅前には、ドトールが2軒ある。
ほんの20メートルくらいしか離れていません。

なぜ、こんな近くにドトールが並んで軒をつらねているのか。

これは入学時からの疑問でした。
この件について、twitterでつぶやいたら、みんな疑問に思ってたんだなってことがわかってうれしかったので、
今日思いついた私なりの解を表明します。

ドトールが20メートル以内に2軒ある理由。

それは、「野球場のビールの売り子さん」と同じ手口と言えます。

学部のときに、サッカー場でビールの売り子さんの単発バイトをしました。
ビールの売り子さんのお給料は基本給+歩合です。
(違うところもあるかも。)

「1杯でも多く売りたい。」

その思いのために、編み出された手口は、

一人の売り子さんが通った、2〜30メートル後ろをついて回る、こと。

なぜ、そんなことをするのか。
考えてみてください。

あなたはお客さん。
客「あっち〜。ビール、のんじゃおうかな〜。
 あ、ちょうど売り子さんきた。どうしよっかな〜。
 でもな〜、野球場のビール高いんだよな〜、さっきも一杯飲んじゃったしな〜。」

と思ってる間に売り子さん(その1)が通り過ぎていく。

客「あ〜、いっちゃった〜。我慢しよ。
  って思ったら、売り子さんまたキターーーー!
  買っちゃおー。」

後から来た、売り子さん(その2)からビール購入。
というわけです。

つまり、
売り子さん(その1)は、ビールあるよ!うまいよ!とお客さんに情報を与える役割。
でもお客さんが迷っている間に売り子(その1)は通り過ぎちゃうので、
売り子さん(その2)が利益を得る訳です。


今日、私は学校帰りにドトールのアイスココアが飲みたくてたまりませんでした。
でも、こんな夜にアイスココアなんて飲んだら太る、と思って、一件目を通り過ぎました。
でも、2軒目の誘惑に勝てず、アイスココアを飲んでしまいました、とさ。
で、「あー、これ、ビールの売り子さんの手口やな。」と思った次第です。

こんな経験則から、
本郷三丁目ドトールが2個ある理由、と大々的に書いちゃったけど、
ほかにも仮説があったら教えてください。

2軒のドトールとビールの売り子さんが重なって見えた、
そんな夏の終わりの日でした。

ちゃんちゃん。