「active audience」と「場作り」に関する一考察

年明けくらいからずっと「能動的受動」という言葉が気になっていました。
ということを、先日、久しぶりに劇場で観劇をしながら思い出しました。


きっかけは、お二人。


@tomokihirano さんのツイート
「鑑賞とは受容とか理解を超えた新たなクリエイションなのではないか、
というのは、メディアリテラシーや視聴覚教育の勉強をしていた大学生
時代の「能動的な受動性」というテーマに通じる。 #marebi」
(https://twitter.com/#!/tomokihirano/status/157467208149245952)


@nakaharajun先生のブログのイベントの告知
『「TEATRO FORUM」の「TEATRO」とは、劇のことです。
書籍内容・研究発表のスピーチを聞くだけではなく、観劇するように、
参加者の皆さんと場を作り上げていくことを目指します。』
http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/01/act_319.html


もやもやポイントは、たぶん、ココ。
「能動的な受動って矛盾してない?」
「観劇って見る、聞くんじゃないの?観劇して、みんなで「場を作る」って?」


先日、わたしが観劇したのはミュージカルでした。
  見せ場が終わった瞬間のお客さんの拍手。
  感動的シーンのお客さんのすすり泣き。
  最高潮のスタンディングオベーション
そんなものを見ながら、
たしかに、この場はみんなで作ってるなあと思いました。
ほかにも、ライブとかでアーティストは
「一緒にもりあげていきましょおお!」とよく言うし、お客さんはそれに答える。


能動的観劇。能動的受動。


場を創るという行為は、
パフォーマンスする人とか、ワークショッパーとか、
デザイナーとか、ファシリテーターの特権ではなくて、
参加する人、そこにいあわせた人にも平等に与えられている機会なんですね。


視聴覚教育とか、「見る人」の熟達についても書きたくなったけど、
きょうはここまで。


Show must go on!