なぜ、インプロはたのしいのか

書き溜めてたぶろぐねた公開します。

前回のドトールネタは色々ご意見賜りましてありがとうございました。
この「なぜ」の答えは、藪の中、ということで。
ドトールいつも混んでて聞けません。)

今回も答えはないけど、経験したこと、考えたことを書きました。ちと長い。



最近、インプロ(即興演劇)という言葉をよくききます。
先日、久しぶりにインプロ体験もしたことですし、とっても不思議な魅力を感じているので、
書き留めておきたいと思います。

☆★☆はじめてのインプロ:プレイバックシアター☆★☆

私が初めてインプロらしいものを経験したのは、大学3年生の夏でした。
大学の集中講義で3日間、「プレイバックシアター」ワークショップという即興演劇を体験しました。
不勉強ですが、非常にざっくり言ってしまうと、
プレイバックシアター」はインプロ(即興演劇)の一種、と捉えられると思います。
この最終日のワークショップで、私は「テラー」という役をして、泣いちゃうくらい感動しました。
あの時の気持ちは、今でも覚えていて、なんというか、『癒される感動』を経験しました。じんわぁぁーって感じです。わかるかな?
多分、伝わらないので、興味を持ったら体験してねってことで、
きょうはプレイバックシアターの経験を振り返りつつ、インプロについて考えてみたいと思います。

インプロのあの不思議な感覚ってなんなんやろう。

☆★☆

プレイバックシアターは、その名の通り、過去の経験の物語を「プレイバック」して演じ、みんなで共有する即興演劇です。
私が経験したプレイバックシアターには、下記のような役割がありました。

「テラー」:物語を語る人。自分の過去の経験や、夢で見たこと、みんなに話したいことを物語る人。
「コンダクター」:テラーの語りを引き出す人。テラーの話を引き出しつつ、アクターに演じるタイミングを出す。
「アクター」:演じる人。語られた過去の経験に出てくる、登場人物や登場物を演じる人。物語によって、数名が演じる。
テラー、アクターが参加者からの立候補制で、コンダクターはファシリテーターの先生が務められました。
テラー、コンダクター、アクターだけで、演劇は出来るのですが、もう一つ大事な役割が、「観客」です。
「観客」:パフォーマンスを見る人、物語を受け止める重要な役割。

テラー、コンダクター、アクター、観客によって、テラーの語る過去の物語がひとつのパフォーマンスとして即興的に演じられ、
ひとつの物語がその場にいる全員に共有されます。
私は「テラー」と「観客」を経験しましたが、プレイバックシアターがもたらす効果は、
個人的な物語がみんなに受け止められることによる「癒し」かなと思いました。


☆★☆インプロワークショップのデザインのちょっとしたコツ☆★☆
その1、コミュニティ形成の意識

「癒し」をもたらすプレイバックシアターというインプロを成功させるためには、色々な仕掛けが隠されていると思いました。
特に重要なのは、参加者同士のつながり、コミュニティ形成が意識されている点だと思いました。

「演じるなんて恥ずかしい」、「自分のパーソナルな物語を語るなんて恥ずかしいし、上手くしゃべれない。」
最初はそういう気持ちがあって当たり前です。
そんな気持を解きほぐし、このコミュニティなら、私の物語を共有してもいいかな、テラーのために演じてもいいかな、という気持ちにさせていく力をもったミニゲームを積み重ねます。
ミニゲーム経験の共有を通して、参加者全員がテラーの語りを「受け止める」準備のあるコミュニティに成熟している必要があるという印象をもちました。

具体的には、下記のようなミニゲームがあったと記憶しています。
・瞬時に人で彫刻をつくる
・ペアになり、そのひとの大切なモノの気持ちになって話しかける
・グループで、お互いの為にプレゼント(なんでも)をしあい、理由を語る
もっと色々あったと思うんですが、
特徴としては、手を握り合ったり、背中を合わせたり、型を触れ合わせたり、と身体を使うものが多かったと思います。

テラーの個人的な物語を引き出し、演じるのは、非常に繊細で、一歩間違えると、危険だな、という印象をもちました。
もし、アクターがウケを狙いすぎたら、
もし、観客が物語を揶揄したら、
テラーを傷つけることになってしまう。アクターが楽しく演じることができなくなってしまう。
すごく微妙だけど、そんな危険がある気がしました。
参加者全員が「やりすぎ」ではない、その微妙なラインを感じ合い、
物語を受けとめる心の準備ができたとき、初めてパフォーマンスをすることができるのではないかな、と感じました。

ミニゲームを通して参加者は、
テラーとして、このコミュニティで物語を共有したい、
アクターとして、テラーのために演じたい、
観客として、テラーの大事な物語を、心を込めて、受け止めたい、
という気持ちになっていき、「共有」する準備のあるコミュニティとして成熟していったようでした。

私が体験したプレイバックシアターワークショップは大学講義内で行われたものだったので、理論的なことの講義をしていただきました。
下記のコミュニティ集団の要素はなるほど、と思いました。
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「コミュニティ」集団の要素として、
・安心感ー一体感:みんなで同じ体験(遊び)をする。同じ気持をもつ。
・みんなと「違う」ことを、表明できるようにする
・身体がほぐれると、気持ちもほぐれる
これらで、身体も心も開かれる、ほぐれる。そして、すばらしい表現が生まれる。
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☆★☆インプロワークショップのデザインのちょっとしたコツ☆★☆
その2、ファシリテータのふるまい

このプレイバックシアターも、先日経験したインプロも、
ファシリテータのワークショップの活動の進め方自体もインプロ的(即興)であった点が印象的でした。
参加者の様子をみて、その状況の中で次の活動を決めていく。
インプロをすることが目的ではなく、手段としてどう使えばいいか、
ファシリテータはそんなことを考えているのかな、と思いました。
だから、参加者とか、色々な要件によって活動自体が即興的に変えていく。流していく。
それはとても自然で、もともとそういう計画だったんではないかと思うくらいでした。
そう考えると、
最初っからこのワークは絶対する!とか、これの次はこれ、と活動を決めてかかりすぎることが、
不自然さを創りだして、参加者の違和感につながっていくのかなと思いました。
ファシリテータもその状況の中に「入って」いく。
インプロワークショップでは、そんな関係がファシリテータと参加者に築かれていた気がします。


☆★☆即興に関する一考察☆★☆

『即興』
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia
即興(そっきょう、英: Improvisation)は、型にとらわれず自由に思うままに作り上げる、作り上げていく動きや演奏、またその手法のこと。インプロビゼーション、アドリブともいう。ただしインプロビゼーションとアドリブを厳密に区別する者もいる。一般には、音楽・ダンス・演劇の世界において使用される語。


私はこれまでのインプロ体験からインプロに対して、
正解の型がなく、自由に、自然にやるもの、というイメージがあるのですが、
実は、一方で、そこに「ルール」や「型」みたいなものがあるからこそ、安心して自由にできるのではないかな、と思います。

例えば、ミニゲームは、「ゲーム」という形式をとっている。ゲームだからルールが有ります。
手しか使っちゃダメ、言葉は使っちゃダメ、、、、とか

ちょっとした「型」があることで、
その型の中にいる、という安心感が人の心をほぐすのかな、と思います。

インプロ、不思議でおもしろいものです。
どうか、そのまま、不思議でいてほしいと思います。



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余談かつ内輪ネタだすけど、
最近、大学院の研究室のメンバーは、先生含め、インプロ大好きで、定番のネタ化してきているほどです。
最近は、インプロが日常に埋め込まれてきていて、いろんな「型」が生まれてきています。
例えば、
・ハイジ・クララ
・いいよなおじさん
・学会口頭発表
・名刺交換
・ポスターバズーカ
・くまー
・DJ
etc....

ハタから見たら、ただふざけてるだけなんですけど、
「これはふざけてるんじゃない、インプロだ。」と言われると、
ああそうですか、という気持ちになってしまうという。
(ほんとにインプロなのか?w)
そしていつの間にか自分も巻き込まれているという。
そんな陽気な研究室が好きです。

☆more info
東京学芸大学 高尾隆先生
・大学の授業でプレイバックシアターをファシリテートしてくださった講師の先生:羽地朝知先生
プレイバックシアターの詳細の乗っているページ
 NPO法人らしんばん HP
 http://playbacktheatre.jp/playbacktheatre.html