「セレンディピティ」と「越境」に関する一考察

*ヒトコト
書くことは、考えること。
とにかく、書くことにした。
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久しぶりに、セレンディピティがおきた。うれしい。

セレンディピティ=予期せぬ幸運、偶然(定義 by hakonyan)

セレンディピティって、日常生活とか、研究活動とか、学習とかにとって、
すごく大事な要素だと私は思っています。

私におきたセレンディピティについて語ってから、
私の考える「セレンディピティのちょっとしたコツ」について書きます。


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今日起きたセレンディピティは、ヒトコトで言うと、
「昨日、友人と話していた内容が、今日たまたま購入した小説の中に
そのままお話として描かれていた」というできごとがあった。
単なる偶然だけど、なんか嬉しい。
こういう偶然って、ときどきありますよね。


さて、
セレンディピティ」についてネットで調べていたら、
セレンディピティ=予期せぬ幸運、偶然」という
私なりの定義が間違っていることを知りました。


セレンディピティ(英: serendipity)とは、
何かを探しているときに、探しているものとは
別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。
何かを発見したという「現象」ではなく、
何かを発見をする「能力」を指す。
平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、
幸運を掴み取る能力のことである。
Serendipity:
the natural ability to make interesting
or valuable discoveries by accident
Longman Dictionary of contemporary English
wikipedia より)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3


セレンディピティは「現象」ではなく、「能力」!
知らなかった。
こんな素敵で楽しい能力はどうしたら身につけられるのだろう。


私は、「越境」することにヒントがあるのでははないかと思う。


例えば、上で書いた本日の私のセレンディピティ能力は
以下の条件の元で発動された。
(まあ、厳密には単なる偶然だけれど、
自分としては価値有るものを発見したと思っているのでよし。)

いつも遊んでいる友人ではない友人の組み合わせで遊ぶ。
いつも遊んでいる場所ではないところにいってみる。
いつもは全く読まない著者の小説を買う。
いつものぶろぐネタではないことを書いてみる。


「いつも」自分が生息しているエリアの境を越えて「越境」してみると、
「いつも」の世界の異なる観方を得ることができる。
「いつも」の世界に「いつも」どおりきっちりハマっていたら
知らなかったコト、見えなかったコトが、
越境したことによってみえてくる。
越境することで、予期せず価値あるものを見つける経験がもたらされ、
「ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力」
が身についていくかもしれないな、とおもった。


最近、気づいてきたのだけれど、
どうやら人生はまだ長いようなので、
セレンディピティを磨きまくって楽しく生きたいと思います。



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>海外の大学に留学とか、学会にいってみるみんなへ
日本を越境した先で、セレンディピティを発揮しまくってきてください*
おみやげ話を楽しみにしています。
私も旅でもしようかな。

セレンディピティwiki link
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3